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2022.04.01

お知らせ

筆頭株主の異動について

このたび、株式会社ファジアーノ岡山スポーツクラブの主要株主が異動となり、木村正明氏(前公益社団法人日本プロサッカーリーグ専務理事)が筆頭株主になることが決定しました。

木村氏は、弊社の代表取締役を務めていた際も筆頭株主でございましたが、日本プロサッカーリーグ専務理事就任に伴い、全株式を譲渡しておりました。

このたび、公益社団法人日本プロサッカーリーグ専務理事を退任され、再び弊社の筆頭株主となることが決定しましたので、お知らせいたします。

 

■木村正明氏 コメント

ファジアーノ岡山のファン・サポーターの皆さま、ご無沙汰しております。
いつも熱い応援をいただき、ありがとうございます。この4年間はひとつのクラブだけを応援をできない立場にありましたが、皆さんの熱い応援は、私も密かに注目をしていましたし、心強いものでした。
Jリーグで4年間お世話になり、濃厚な日々を過ごさせていただきました。想像以上に刺激的な日々で、全力で駆け抜けた4年間でした。Jリーグおよびスポーツ界の発展に今後も個人的に寄与する所存ですし、得た貴重な経験や人脈や知見を、ファジアーノ岡山に還元していきたいと考えています。
私が不在の間を託した現経営陣は、苦しみながらも、しっかりと務めてくれました。これは以前から私自身が望んでいた姿でもあります。私自身がすぐに経営陣に加わることは控える判断をいたしますが、クラブの幹を太くしていくために、自分ができるサポートを今後考えていくつもりです。
自分に課せられた使命が一つあるとするなら、このクラブの一人のファウンダーとして、オーナーとして、クラブを見守り続けていくことではないかと考えています。また、クラブの根幹を大切にしていくことも見届けます。自分の子どものようなこのクラブを愛する気持ちは永遠のものであり、変わることはありません。
クラブの根幹とは、ファジアーノ岡山のDNAです。理念に基づいているか。リスクをとりチャレンジしているか。ワクワクを提供できているか。最後まで絶対に諦めないか、等、多くの皆様がクラブを支持してきた理由であり、求めていることであるとも言えると思います。

久しぶりの機会ですので、このクラブの歴史も含め、現在思っていることを、書かせてください。
株式会社ファジアーノ岡山スポーツクラブは、2006年にNPOを承継する形で設立されました。社員は2名、選手報酬0円からの船出でした。その年の暮れ、19人の選手が退団しました。当時はJリーグへの参入は現実味がなく、かつ、地域リーグに長年留まるようだと解散せざるを得ない状況だったと記憶しています。グラウンドを無償で貸してくださる団体、選手に仕事を提供くださる企業、ユニフォームのクリーニングや選手の散髪を無償でしてくださる人、遠路まで駆けつけてくれるサポーター、試合をサポートくださるボランティア、試合の日にのぼりを立ててくださる協力者、少しずつ支援の輪が広がるなか、本当にJリーグにいけるんか?という声が徐々に現実味を増す流れに変わっていき、岡山にプロチームがなくて良いんですか?という私自身の問いの答えも明確になるのを感じました。
Jリーグ昇格後も、練習場建設に28万人の署名が集まり、岡山人の熱さを知りました。また勝負を賭けた2016年の悔しさは、平均観客数1万人を初めて超えた喜びとともに、このクラブの歴史に刻まれています。
クラブの理念は「子どもたちに夢を!」です。自分自身、高校を卒業し都会に出て、環境の違いにショックを受けました。好きなスポーツを岡山の子どもたちなら誰でもできるようにしたいですし、強く愛されるプロチームの存在と、そこに触れることが、子どもたちがたとえ地元を離れても岡山を愛する気持ちにつながると信じています。リトルリーグの試合で広島に行ったときに、広島の皆さんがカープを愛する気持ちに驚き、直に試合が見られる現実を知り、本当に悔しかったのが、原点でした。現経営陣になり、岡山県内の社会体育施設31箇所の指定管理を新たに受託し、環境整備の一歩を踏み出しました。これだけ多くの施設を管理するのはJクラブでは全国唯一の試みとなり、理念実現に向け、着実に歩んでいます。
結成当初クラブに集ってくれた役員諸氏と合宿を重ね、活動指針を、「最高の選手と子どもたちが仲間になる」「家庭と地域と学校の三者が協働できる社会作りに貢献する」「岡山の誇りとなる存在になる」と定めました。同時に30年計画も作り、3年でJリーグ入り、5年で活動拠点、10年で入場者1万人、20年でフットボールスタジアム、25年ですべてのスポーツ、30年ですべてのスクールを無料に、と決めました。100年続くクラブを自分たちの世代で作るんだ、との野心に満ちていました。
人間に例えれば、クラブはまだ高校生です。恐れることなくリスクを取り、果敢に挑み続ける。それがクラブのDNAでもあり、皆さまとも共有すべきことと感じています。
100年続くクラブのDNAのために。県リーグから地域リーグ、そしてJFLからJリーグへ。このクラブのストーリーはこれからも続きます。 そしてそのストーリーは、J1の舞台に上がらねば完成しません。2016年に残した忘れ物を、取り戻しにいきたいし、いかねばならないと思っています。

シーズン中にこのようなコメントを書くことをお許しください。

引き続き、ファジアーノ岡山を、どうかよろしくお願いします。
 

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